〜 名前のつかない気持ちについて 〜
「なんかこう……ズーンとする感じで」
「モヤモヤするんです。うまく言えないんですけど」
「べつに何かあったわけじゃないんですけど、スッキリしなくて」
こう言ったあとに、「すみません、うまく説明できなくて」と続ける方がとても多いです。
でも、あやまる必要はまったくありません。むしろ「ズーンとする」「モヤモヤする」は、とても正確な表現です。いまのご自分の状態を、いちばん近い言葉で伝えてくださっています。
はっきりした出来事がなくても、気持ちは動きます。小さな引っかかりが少しずつ積もっていたとか、本当は言いたかったことを飲み込んでいたとか、体が疲れきっていたとか。
理由が思い当たらないことは、理由がないことと同じではありません。
言葉にできないのは、語彙が足りないからでも、鈍いからでもありません。いくつか、はっきりした理由があります。
いちばん多い理由です。たとえば、頼まれごとを断れずに引き受けたあと——「断れなかった自分への情けなさ」と「押しつけてきた相手への怒り」と「でも断ったら悪いという申し訳なさ」が、同時にあります。
絵の具をぜんぶ混ぜると灰色になるのと同じで、混ざった気持ちには、ひとつの名前がつきません。だから「モヤモヤ」としか言えなくなります。灰色に見えているだけで、中には何色も入っています。
感じても、どうにもならない状況が続くと、人は感じること自体を止めます。これは弱さではなく、そうしないと生きていけなかったから身についた守り方です。
「怒ってはいけない家」で育った。つらいと言っても取り合ってもらえなかった。忙しすぎて感じている暇がなかった。——そういう時期を過ごすと、気持ちは体の奥に置かれたまま、言葉になる手前で止まるようになります。
そして安全な場所に来たときに、まとめて「モヤモヤ」として出てきます。
気持ちは、まず体の変化として起こります。胸が重い、のどが詰まる、みぞおちがざわつく、肩に力が入る、頭に血がのぼる。
ふつうはそのあと脳が「これは怒りだ」と名前をつけるのですが、その一手前で止まっていると、「体が変な感じ」としてしか感じられません。
「ズーン」も「モヤモヤ」も、よく聞くと体の感じを表す言葉です。それだけ、体のほうが正直に反応しているということでもあります。
気持ちの名前は、まわりの人が言葉にしてくれることで覚えます。「くやしかったね」「がっかりしたよね」と誰かが言ってくれた分だけ、自分の中の言葉が増えていきます。
その機会が少なかった方は、大人になってから「うれしい・悲しい・むかつく」くらいしか手持ちがないということが起こります。これは能力の問題ではなく、学ぶ機会の問題です。あとからでも増やせます。
自分の感情を感じ取ったり言葉にしたりするのが、もともと苦手な傾向を「失感情症(アレキシサイミア)」と呼びます。病気の名前ではなく、特徴を表す言葉です。
発達特性のある方に多いことが知られていますが、そうでない方にもみられます。この場合も、「体の感覚から辿る」「候補から選ぶ」といった外側の手がかりを使うと、名前をつけられるようになっていきます。
ここがこのページの中心です。気持ちに言葉をつけるだけで、脳の反応が変わることがわかっています。
「感じている気持ちに名前をつけると、脳の警報装置がしずまる」——これは、脳の画像を撮る研究でくり返し確かめられています。
不快な表情の写真を見せると、脳の奥にある扁桃体(不安や警戒の中心)が強く反応します。ところが、そのときに「これは怒りの顔だ」と言葉のラベルをつけてもらうと、扁桃体の反応が下がり、代わりに前頭前野(考えたり抑えたりする部分)が働き出すことが示されました。
この現象は「感情のラベリング(affect labeling)」と呼ばれています。おもしろいのは、言葉にしようとしただけで起きることです。がまんするのでも、考え直すのでもありません。
もうひとつ、大事な研究があります。気持ちをどれだけ細かく区別できるか——これを「感情の粒度」と呼びます。
「なんか嫌な気分」しか持っていない人と、「がっかり」「くやしい」「気まずい」「心細い」と分けられる人を比べると、後者のほうが——
という結果が報告されています。理由はシンプルで、「がっかり」なら慰めが要る、「くやしい」なら次の作戦が要る、「心細い」なら誰かに連絡すればいい——名前が決まると、次にすることも決まるからです。
| 「モヤモヤする」のまま | 名前がついたとき | |
|---|---|---|
| 大きさ | どこまで広がっているかわからず、実際より大きく感じる | 輪郭ができて、大きさがわかる |
| 原因 | 「自分がおかしいのかも」と、自分のせいになりやすい | 「あの一言がきっかけだった」と、外に置ける |
| 次の一手 | 何をすればいいかわからず、だまって耐える | 必要なことが見える(休む・話す・断る・伝える) |
| 人に言うとき | 「うまく言えない」ので、言わずに終わる | 「さみしかった」とひとことで伝えられる |
| 続き方 | はっきりしないまま、長く残る | 扱えるので、通り過ぎていきやすい |
ズーンとモヤモヤは、まったく別のものではありません。ただ、出てきやすい中身に、少し違う傾向があります。手がかりとしてご覧ください。
重い・沈む・体が動かない、という感じのとき。
落ち着かない・すっきりしない、という感じのとき。
一日じゅう重い感じが続く、それが2週間以上ある、朝がとくにつらい、眠れない/眠りすぎる、食欲が変わった、何をしても楽しめない——こうしたものが重なっているときは、気持ちの問題ではなく、うつの症状として扱ったほうがよいことがあります。
その場合、名前をつける練習より先に、体と生活を立て直すことが優先です。ひとりで抱えずご相談ください。
いきなり「何の気持ち?」と自分に聞いても、たいてい出てきません。外側から順に近づいていくのがコツです。
気持ちより体のほうが答えやすいので、ここから始めます。
胸のあたりが重い。のどが詰まる。みぞおちがざわざわする。肩と首がガチガチ。頭に血がのぼっている。おなかが冷たい。——「どこが」「どんなふうに」だけ言えれば十分です。
「今朝の会議のあとから」「あの返信を読んでから」「日曜の夜になると毎回」。
ここできっかけが見つかれば、名前は半分ついたようなものです。見つからなくても大丈夫。「わからない」も立派な答えです。
感情の名前が出てこないときは、たとえで言うほうが早いことがあります。
「置いていかれたような感じ」→ さみしさ
「はしごを外されたような感じ」→ 裏切られた感じ・くやしさ
「見張られているような感じ」→ 緊張・不安
「顔から火が出るような感じ」→ 恥ずかしさ
正確でなくてかまいません。近ければ、そこから絞れます。
ゼロから思いつくのは難しくても、並んでいるものから選ぶのは、ずっとかんたんです。
「くやしい・がっかり・気まずい・心細い・うしろめたい・情けない・腹立たしい・落ち着かない……」——ぴったりでなくていいので、いちばん近いものを1つか2つ選びます。
名前がついたら、最後にこれを聞きます。気持ちには、たいてい要望がついています。
さみしい → だれかと話したい
くやしい → 認めてほしい/やり直したい
腹立たしい → 伝えたいことがある
申し訳ない → 謝りたい、または線を引きたい
疲れた → 休みたい
ここまで来ると、「モヤモヤ」は「やること」に変わります。
ここまで書いておいて何ですが、名前をつけることは義務ではありません。
つかない日もあります。疲れているとき、しんどさが強いときほど、つきにくくなります。そういうときに「名前もつけられない自分はダメだ」と思ってしまったら、本末転倒です。
「いま、モヤモヤしている」と気づいているだけで、もう十分に前進しています。気づかないまま人にあたったり、自分を責めたりするより、ずっといい状態です。
説明できる形にしてから来る必要は、まったくありません。次のような言い方で十分に伝わります。
言葉にするのを手伝うのが、こちらの仕事です。一緒にほどいていきましょう。