〜 自分にやさしくするという、別の道 〜
この10年ほどで、「自己肯定感」という言葉はすっかり広まりました。本にも、SNSにも、育児の話にも出てきます。
その結果、こんなことが起きています。
「自分は自己肯定感が低い。だからダメなんだ」
「自己肯定感を上げなきゃいけないのに、上げられない自分は、もっとダメだ」
もともと自分を責めていた人が、責める材料をひとつ増やした——そういう状態です。
努力が足りないからではありません。やり方の設計そのものに、無理があるのです。理由が3つあります。
よく知られた研究があります(2009年)。「私は愛される人間だ」という前向きな言葉を、くり返し自分に言い聞かせてもらう、という実験です。
もともと自分に自信がある人では、少し気分が良くなりました。ところが——もともと自己評価が低い人では、言い聞かせたあとのほうが、気分が悪くなっていました。
理由は、考えてみると当たり前です。実感と食い違う言葉を聞かされると、頭は反論を始めます。「愛される人間だ」と言われれば「いや、あのときも、このときも……」と、逆に反証を探してしまうのです。
つまり、「ポジティブな言葉を唱える」タイプの自己肯定は、いちばん必要としている人にこそ効きにくいという、やっかいな性質があります。
自己肯定感は、多くの場合「自分は他の人と比べてどうか」で支えられています。
仕事ができる。人に好かれている。見た目がいい。——こうしたもので支えているかぎり、順位を確かめ続けなければならなくなります。そして順位は、いつか必ず下がります。
SNSを見ていて苦しくなるのは、この仕組みのせいです。比較で支えているものは、比較で崩れます。
「結果を出せば、自分を認められる」——これを条件つきの自己価値と呼びます。
一見、健全に見えます。実際、条件を満たしているあいだは調子よく走れます。でも、調子を崩したとき・失敗したとき・病気になったときに、支えが丸ごとなくなります。
診察に来られる方の多くが、まさにこの状態です。いちばん自分を大事にしてほしい時期に、いちばん自分を責めてしまう——条件つきの自己価値は、そういう作りになっています。
「自分をどれだけ高く評価できるか」から、「うまくいかないときに、自分をどう扱うか」へ。
この置き換えが、このページの中心です。前者は上げ下げのある不安定なものですが、後者は練習で身につく技術です。
「自分の中身が劣っているから低い」——そう思っていませんか。ほとんどの場合、そうではありません。
これは、いちばんお伝えしたいことです。「自分には価値がない」という考えは、うつ病の中核的な症状のひとつです。診断基準にも「無価値感」として書かれています。
性格が変わったのではありません。うつが、ものの見方を変えているのです。同じ出来事でも、うつのときは自分の失敗に見え、回復すると「あれは仕方なかった」と見えるようになります。
だから、うつの時期に「自己肯定感を上げる練習」をするのは順番が違います。まず治療で、ものの見方を歪ませているものを取り除く。そのあとで、必要なら練習をします。
自分を認める感覚は、誰かに認めてもらった経験の積み重ねからできます。「よくやったね」「そのままでいいよ」と言われた回数だけ、自分の中に土台ができます。
その機会が少なかった方——できて当たり前とされた、いつも誰かと比べられた、親自身に余裕がなかった——は、土台を作る材料が足りなかったということです。これは本人の努力とは関係がありません。
SNSでは、他の人のいちばん良い瞬間だけが流れてきます。それを、自分のいちばん地味な日常と比べることになります。勝てるわけがありません。
職場、きょうだい、同級生。比較の材料が多い環境にいるほど、自己評価は下がります。あなたが弱いのではなく、環境の設計がそうなっているのです。
いじめ、パワハラ、モラハラ、DV、大きな失敗。こうした経験のあと、「自分が悪いからこうなった」という説明が残ることがあります。
これは事実ではなく、そのときに自分を守るために必要だった説明です(自分のせいだと思えたほうが、まだ世界に予測がつきます)。時間が経ったいま、その説明はもう外していい可能性があります。
次のようなことが重なっているときは、自己肯定感の話ではなく、うつの治療が先です。
この時期に自分を変えようとがんばると、うまくいかず、さらに自分を責めることになります。順番があります。ご相談ください。
日本語では「自分への思いやり」と訳されます。定義はとてもシンプルです。
失敗したときに「何やってるんだ」「だから自分はダメなんだ」と言うかわりに、「つらかったね」「よくここまでやってきた」と言えること。
ポイントは、甘い評価をすることではないという点です。「失敗しなかった」ことにするのではなく、「失敗した。それはつらい」と、事実と気持ちの両方を認めます。
つらいとき、人は「こんなふうになっているのは自分だけだ」と感じます。これが苦しさを何倍にもします。
ここで加えるのが、「うまくいかないことがあるのは、人間なら誰にでもある」という視点です。慰めではなく、事実です。同じ失敗をした人、同じ夜を過ごした人は、必ずいます。
この一文があるかないかで、効き方がまったく違います。セルフコンパッションが「ひとりで自分をほめる」のと違うのは、ここです。
つらさを大げさにもせず、なかったことにもせず、「いま、つらいと感じている」と気づいている状態です。マインドフルネスの部分にあたります。
「こんなことで落ち込むなんて」と否定するのも、「もう終わりだ」と巻き込まれるのも、どちらもここから外れます。
| 自己肯定感 | セルフコンパッション | |
|---|---|---|
| 言うこと | 「私には価値がある」 | 「私はいま、つらい。人間だから、そういうこともある」 |
| 評価が | いる(良いと判定する必要がある) | いらない(判定せずに、ただ手当てする) |
| 他人との比較 | 「人より上」で支えられやすい | 比較そのものが要らない |
| いつ働くか | うまくいっているとき | うまくいっていないときこそ |
| 失敗したら | 支えが崩れる | そこで初めて出番が来る |
| 育て方 | 結果や評価に左右される | 練習で育つ |
セルフコンパッションの高さは、うつや不安の少なさ、ストレスへの強さ、失敗から立ち直る早さと結びついていることが、多くの研究で示されています。
興味深いのは、自己肯定感との違いです。自己肯定感の高さは、自己愛的な傾向や、他人を見下す態度と結びつくことがあります。一方、セルフコンパッションにはその結びつきがありません。自分に優しくすることは、他人を軽く見ることにつながらないのです。
また、セルフコンパッションは気分の安定にもつながります。良い日も悪い日も同じように働くため、自己肯定感のように日によって上下しにくいことがわかっています。
いちばん多い抵抗です。そして、たいてい「自分に厳しくしてきた人」ほど強く感じます。正面からお答えします。
自分に厳しい人ほど成長する——そう思われがちですが、調べてみるとそうではありませんでした。
自分を強く責める人は、
一方、セルフコンパッションが高い人は、
理由はシンプルです。失敗しても自分に袋叩きにされないとわかっていれば、失敗を見にいけるからです。
思いやりのある親を思い浮かべてください。子どもが失敗したとき、責め立てはしませんが、「なかったこと」にもしません。「大丈夫、次はこうしようか」と言います。それを自分に向けるのが、セルフコンパッションです。
この考えは、どこかで身についたものです。厳しく育てられた、そうしないと認めてもらえなかった、実際に厳しくして乗り切った時期があった——。
それ自体が悪いのではありません。ただ、いまも同じやり方が必要かどうかは、あらためて考えてみる価値があります。多くの場合、そのやり方はすでに役目を終えています。
大げさなことはしません。どれか1つを、うまくいかなかった日に使ってみる——それで十分です。
いちばん基本で、いちばん効くやり方です。
「大切な友だちが、いまの自分とまったく同じ状況にいたら、なんと言うだろう?」——これを考えてみます。不思議なもので、他人にかける言葉はすぐ出てくるのに、自分にはまったく出てきません。
出てきた言葉を、そのまま自分に向けます。声に出しても、書いてもかまいません。
自分を責める言葉のあとに、短く1行だけ足します。
「またやってしまった。——こういうことは、誰にでもある。」
「情けない。——同じ夜を過ごしている人は、たくさんいる。」
効果があるのは、これが気休めではなく事実だからです。孤立している感じが薄まるだけで、つらさの重さが変わります。
頭の中で自分を責めてくる声を、自分の本心ではなく「登場人物」として扱います。
「厳しい審査員」「ダメ出し係」「昔の担任の声」——なんでもかまいません。名前がつくと、「またあの人が来たな」と少し離れて見られるようになります。
そして気づくことがあります。その声は、たいてい誰かの言い方をそのまま使っています。
言葉が出てこない日は、これだけでもかまいません。胸のあたり、あるいはおなかに、手のひらを当てて、ゆっくり3回呼吸します。
気休めに見えますが、あたたかい接触は、体を落ち着かせる働きを実際に持っています。だから人は、つらい人の背中に手を置くのです。それを自分にします。
結果が出た日にしか自分を認められないなら、認められる日はほとんどありません。
基準を、「やったこと」「続けたこと」「しんどい中で立っていたこと」に移します。「今日は起きて、ごはんを食べて、ここに来た」——調子が悪い時期には、これは十分な達成です。
最初は、ほぼ全員が「なんだかしっくりこない」「気持ち悪い」と感じます。何十年も自分に厳しくしてきた人ほど、そうです。
これは失敗ではなく、慣れていないだけです。利き手でないほうで字を書くようなもので、続けるうちに違和感は薄れていきます。